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16 件の記事
「1998年4月、自由が丘に開いた1軒 ─ ピープルツリーが街に立ち続けた時間」
1998年4月、自由が丘3-7-2に1軒の店が開いた。名前は当時「ザ・フェアトレード・カンパニー」。 2000年に「ピープルツリー」と改まり、看板と通販カタログの名前が揃った。 28年経ったいまも、日本で1店だけの直営店として、この住所にある。
「南口1分、三度目の看板 — 鶏のとりこ、卓上5種と麺屋周郷の系譜」
自由が丘駅南口を出て一分、目黒区自由が丘1-31-9。同じ住所で、看板が三度替わった。 塩の淡麗から鶏白湯の濃厚へ。卓上には5種の粉と酢とオイルが並び、 レシピは新橋の一軒から届く。金賞を得た一杯が、街の食堂として四か月を過ごしている。
軽さを選び続けた23年 ─ 金子美明、自由が丘2-14-5の細い線
自由が丘2-14-5、1階。パティスリー パリ セヴェイユは2003年6月に開いた。以後23年、 土日のみ、電話予約制、看板のモンブランは注文を受けてから絞る。 駅から外れた角で、金子美明が選び続けてきた「軽さ」の意思決定を、23年の時間軸で読み直す。
地面のそば屋が4階へ上がる ― 薮伊豆、創業から92年の9月17日
1934年創業のそば屋は2022年9月25日から休業中で、いま訪れることはできない。再開は2026年9月17日、「JIYUGAOKA MUSE SQUARE」の4階。地面のそば屋が、4階へ上がる。
「自由が丘デパート地下1B、30年以上、街の甘さの源流を静かに守る店」
自由が丘駅のすぐ横、レトロな商業ビルの階段を下りると、地下1階の一角に大倉屋がある。 輸入菓子と製菓材料を並べる小さな店。30年以上、同じ店主がここに立ち続けてきた。 街のケーキやクッキーの、はじまりの場所である。
1982年、2丁目に開いた「キーショップ」 — 私の部屋 自由が丘店、44年目の夏
自由が丘2-9-4、吉田ビル1階。1982年1月、「私の部屋」はこの場所に「キーショップ」を開いた。 以後の全国展開の起点となったその店は、 44年目の夏、京都・山科の陶芸家 的場美幸のうつわ展を7月20日まで開いている。
ブランデーが 60 年しみている — 奥沢の路地の一本、63 年目の夏
7 月。中元やお盆の手土産を考える季節に、常温で 2 ヶ月もつ焼き菓子がある。奥沢 2 丁目の路地、洋菓子ロワールのブランデーケーキ。約 60 年、同じ配合で作り続けられている。アルコールを含むため気温の高い時期でも風味が落ちにくい、この街の夏の贈り物のかたち。
94年、街の時計を刻んできた店 ― 一誠堂、明治10年の眼鏡商から令和8年の女神通りへ
自由が丘で 94 年、時計と宝石と眼鏡を扱ってきた店がある。一誠堂。 明治10年に日本橋の眼鏡商として始まり、昭和7年に自由が丘へ来た。 駅前再開発で 2023 年に女神通りへ移り、いまも街の「時」を刻んでいる。
5月29日から74柄が降りている — カタカナ、奥沢5丁目の初夏
奥沢5丁目の角、第一ワチビル1階。5月29日から、棚にもんぺが降りている。 定番58柄、別注チェック16柄、合わせて74柄。今日で会期27日目。
白い暖簾が立って20年、関西の老舗が自由が丘で焼くカステラ
自由が丘1-24-11、白い暖簾。「黒船 自由が丘本店」が東京の路面に立ったのは2006年。 ブランドを起こした株式会社黒船そのものは2003年創業、その母体は1919年長崎で生まれ 1924年に大阪へ移った長崎堂。107年前の長崎、100年余の大阪、そして20年前の自由が丘。 系譜が一本の暖簾の奥でつながっている。
「自由が丘から駒沢公園の景色」が18歳の少年に残った — モンサンクレール、街に憧れて28年
18歳のとき、田園調布の店からランニングで駒沢公園まで走った。 途中で見た自由が丘の景色が、ずっと頭に残っていた。 そこから店を開くまで十数年。開いてから28年。 自由が丘2丁目22番、モンサンクレールの話。
コーヒーの跡に 400 種の茶葉が並んだ — ルピシア自由が丘本店、6 年目
かつてここは上島珈琲店だった。 2020 年 7 月、コーヒーの灯が消えた跡に、400 種類の茶葉を並べた店が灯った。 ルピシア自由が丘本店。田中ビル 1 階で、6 年目になる。
シャモニーから持ち帰った山の名 — 自由が丘モンブラン、5月31日に仮店舗最終日
自由が丘駅正面口から20メートル。1933年創業の洋菓子店「モンブラン」が、仮店舗での営業を5月31日(日)に終える。 6月1日から約3ヶ月の休業を経て、9月に開業する複合施設「自由が丘ミューズスクエア」1階で新本店を開く。 日本のモンブラン発祥の店が、1945年の自由が丘移転からひとつの章を更新する週だ。
90年、街の写真屋として — ポパイカメラと自由が丘の時間軸
駅正面口から徒歩2分。1936年から街と並んで歩いてきた写真屋が、ポパイカメラだ。デジタルが当たり前になった2005年、自分たちの形を作り直した。フィルムと、棚いっぱいの写真雑貨と、現像のときに自動補正を切る職人の手。街が変わっても、街の写真屋であり続けるための選び方が、ここにある。
鞄と歩む時間 — 土屋鞄、自由が丘で16年
自由が丘北口から徒歩約10分、自由ヶ丘学園高校の向かい。土屋鞄製造所が2010年に開いた路面店で、いま「使い込まれた革」が並んでいる。住人が手放した自社の鞄を、職人が修理して、また住人の手に渡す。会期は5月18日まで。
古桑庵 — 大正末期の邸宅で、漱石の縁が今もつながっている
夏目漱石の門人・松岡譲が命名した茶室「古桑庵」が、熊野神社の隣に在る。大正末期の木造邸宅、 100坪の露地、1999年から続く茶房とギャラリー。漱石の縁が自由が丘に、静かに根を張っている。