「跡地には記念碑が残る」その碑の名前に、学校が2つある
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「跡地には記念碑が残る」その碑の名前に、学校が2つある

「跡地には記念碑が残る」。共同通信の自由が丘散歩記事の一文だ。JIYUGAOKA de aone 入口の碑の名前には、トモエ学園と、地名の発端の自由ヶ丘学園、2つの学校名が並ぶ。

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共同通信の記事の、終わり近くの一文

共同通信が配信した「Tokyo とことこ散歩」の自由が丘回。東京新聞デジタルには9月28日に載った。ミューズスクエアの開業や老舗の話が続いたあと、終わり近くにこんな一文がある。

「窓ぎわのトットちゃん」で黒柳徹子さんが描いた「トモエ学園」の跡地には記念碑が残る。

跡地は、いまの JIYUGAOKA de aone。その碑の名前は「自由ケ丘学園小学校・トモエ学園小学校記念碑」。施設を開いたイオンモールの発表資料に、そう記されている。トモエ学園だけの碑ではない。

同じ記事には「自由が丘駅の名称も、住民の要望で決められたいきさつがある」という一文もあった。記事の中では別々の文だが、駅名の話もトモエ学園の話も、碑の名に入った2つの学校につながっている。

碑の名に並ぶ、続けて開かれた2つの学校

昭和2年(1927年)11月、谷畑と呼ばれた大根畑の丘の上に、手塚岸衛が自由教育を旗印に「自由ヶ丘学園」を創立した。これが「自由が丘」という地名の発端。2年後、大井町線の延長で駅名を改めることになり、移り住んだ文化人たちの要望を受けて「自由ヶ丘」が駅名に採られた。

昭和12年(1937年)、トモエ学園が自由ヶ丘学園の幼稚園と小学校を引き受ける。黒柳徹子さんの出身校で、『窓ぎわのトットちゃん』の舞台になった学校だ。校舎は昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼け、後に廃園になった。

碑の名に並ぶのは、続けて子どもたちを迎えた2つの学校。街の名前をくれた学校と、トットちゃんの学校。順番に読むと、創立から引き継ぎまでの10年ほどが、碑の名前ひとつに収まっている。

1988年、2021年、そして開業後

跡地はその後スーパーマーケットになり、碑は旧店舗の「ピーコックストア自由が丘店」に置かれていた。イオンモールの資料には、自由が丘商店街振興組合が提供した1988年の除幕式の写真が添えられている。

三井住友トラスト不動産の地域史ページによると、碑には「自由ヶ丘 自由と創造の我が母港」と記されている。同じページによると、スーパーマーケットの建て替え工事のため、2021年に碑は一時撤去された。

2023年10月20日、跡地に JIYUGAOKA de aone が開業。イオンモールは開業前の発表で、碑を開業後に「再び設置します」と予告していた。2024年3月の目黒区の特集では、碑は de aone の入り口に設置されている。

「残る」の中にある、外れていた時間

共同通信の「残る」は、そのとおりだ。ただ、その一語には、2021年に外されてから、再び入口に置かれるまでの時間も入っている。

一度外されて、また戻ってきた。「自由と創造」という言葉を記した碑が、もう一度この入口に置かれた。

de aone の入口には、地名の発端になった学校と黒柳徹子さんが学んだ学校、2つの名前を持つ碑がある。