「独自の放置自転車対策」を辿ると、九品仏川緑道のベンチに行き着く
休日の九品仏川緑道で、人が腰を下ろしているあのベンチ。9月12日放送の『ブラタモリ』自由が丘回の紹介文にある「独自の放置自転車対策」の一行を資料で辿ると、このベンチに行き着く。2004年頃に始まった、座る場所で自転車を退かせた話だ。
番組紹介文の、一行を辿る
休日の九品仏川緑道。あのベンチに、人が並んで腰を下ろしている。
9月12日に放送されたNHK『ブラタモリ』の自由が丘回。番組ページの紹介文には、100年の街づくりをめぐる問いがいくつも並ぶ。その中に、こんな一行があった。「美しい街並みを生んだ独自の放置自転車対策とは」。
番組の予告と町名の由来は放送前の記事で扱った。今回は、放送で何が映ったかではなく、この一行だけを区の資料と取材記録で辿ってみる。行き着いた先が、あのベンチだった。
区の紹介文に、同じ言葉
目黒区が2024年3月15日に公開した街の紹介ページは、九品仏川緑道をこう書いている。電線が地中化され、「放置自転車対策として設置されたベンチ」に人々が憩う場所。
1974年に暗渠化された川の跡に続く、延長約1.6kmの緑道については以前の記事に書いた。毎日通り過ぎるベンチには、こうした由来がある。
駐輪場を、作れなかった
集英社『青春と読書』の連載「ウォーカブルでいこう!」が、その経緯を伝えている。
緑道は目黒区と世田谷区にまたがる。自由が丘商店街振興組合が両区と連携して整備を進めたものの、訪れる人の自転車が大量に放置されるようになった。駐輪場をつくる案もあったが、公園という位置づけのため叶わなかったという。自転車が多いと歩きにくく危ない。せっかく敷いた石畳も、植え直した桜並木も楽しみづらい。
そこで動いたのが、当時の自由が丘南口商店会のリーダーで、家具輸入会社の社長だった人物だ。イベントの際に千数百台の放置自転車を撤去し、テーブルや椅子を置くと、皆が楽しんでいた。そして「ベンチを置いてみたら、自転車が放置されなくなることに気づいた」と振り返っている。
イタリアでデザインしたベンチを、自腹で置き始めた。私物だからと撤去を求められたが、区議の協力を得て、区と一年契約で置けることになる。その後は南口商店会や緑道に面するビルのメンバーが購入したベンチを世田谷区に寄付し、区も保管場所を用意するようになった、と同誌は書く。
駐輪場は置けない。なら、座る場所を置く。問題の立て方を裏返した解き方だった。
研究所の記録では、2004年頃から
ハイライフ研究所の事例集は、同じ緑道を別の角度から記録している。
地主や地元の商店主たちが2004年頃から、1脚3万円のベンチを実験的に置き始めた。2006年、大井町線の操車場跡地にトレインチができ、隣に駐輪施設がつくられる。これを機に緑道は違法駐輪禁止区域に指定され、商店会の人々がベンチとプランターを本格的に並べた。事例集が示す区間は、東急東横線のガードを挟んだ、トレインチと2003年開業のスイーツフォレストのあいだ、ほぼ300メートルだ。
同研究所は、その結果、放置自転車はなくなったと書き、2016年の時点で駐輪している自転車は一台もないと記している。ベンチやプランターは区に寄付され、行政が管理している、とも書いている。
座る場所を、次の街へ
同じ『青春と読書』の記事は、『自由が丘未来ビジョン』が再開発地区を、座れる場所の多さで全国でいちばんのまちにすることをめざすと明言している、と伝える。目黒区によれば、このビジョンは2023年(令和5年)2月28日に策定された、30年後を視野にしたまちづくりの道しるべだ。
自転車を退かせるために置かれた一脚が、いつのまにか街の目標の言葉になっている。次に緑道のベンチに座ったら、その足元に自転車が並んでいた頃のことを、少しだけ思い浮かべてみる。