明後日、タモリが自由が丘を歩く — 番組が『100年』と呼ぶ街の由来を辿る
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明後日、タモリが自由が丘を歩く — 番組が『100年』と呼ぶ街の由来を辿る

明後日 9月12日(土)19時30分、NHK総合『ブラタモリ』が自由が丘を歩く。タモリは「近所なのでよく散歩に来る」街を歩き直して「印象が変わった」「本当に自由な町だった」と語ったと、CINRA と vois が伝えている。

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タモリの「印象が変わった」

明後日 9月12日(土)19時30分、NHK総合『ブラタモリ』が自由が丘を歩く。

タモリは「自由が丘は近所なので、よく散歩に来るんです」と語った上で、「でも今回歩いて、ちょっと印象が変わりました」「本当に自由な町だったんだなと思いました」と続けたと、CINRA と vois が伝えている。

近所として通っている人が、番組の取材で歩き直して「印象が変わった」と語る。この一言が番組の入り口になっている。出演はタモリと佐藤茉那アナウンサー、ナレーションはあいみょん。

番組が呼ぶ「誕生100年」の中身

番組は自由が丘を「誕生して100年」の町として紹介する、と各媒体が伝えている。100年という区切りが何を指すのか、資料で辿ってみる。

Wikipedia と三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス」を照らし合わせると、1927(昭和2)年に東京横浜電鉄東横線が開通して「九品仏駅」が置かれ、同じ1927年11月に教育者の手塚岸衛が自由ヶ丘学園を設立した。これが「自由」の名の起源とされている。

地名として正式化したのはもう少し後で、1932(昭和7)年6月に「碑衾町自由ヶ丘」となり、同年10月の目黒区成立とともに町丁になった、と三井住友トラストが記している。1929年には二子玉川線開通に伴って駅の名前を変える必要が出て、内定していた「衾(ふすま)駅」が、舞踊家の石井漠をはじめとする文化人住民の要望で「自由ヶ丘駅」になった経緯もある。

2026年は、学園創設から数えれば99年目、正式町名化から数えれば94年目。番組が「100年」と丸めて呼ぶのは、その手前の1927年を起点に置いているからだ。

「スイーツの町」と芸術家の接続

番組は複数のテーマを予告している。丘はどこにあるのか、地名がなぜ生まれたのか、ヤミ市から生まれた当時最先端のデパート、人々の憩いの場となった緑道、そして「スイーツの町、そのルーツにあった芸術家たちの存在」。

芸術家とスイーツ。この2つの接続は、番組を見るまで正確には分からない。ただ手がかりはある。駅名を「自由ヶ丘」に押し戻した石井漠は舞踊家だった。手塚岸衛の自由ヶ丘学園も、自由主義教育を掲げていたと三井住友トラストは書く。文化人の集まる町だった、という文脈が最初にある。

その6年後、1933(昭和8)年に、日本で初めてのモンブランケーキ専門店とされるモンブランが開業した、と Wikipedia は伝える。芸術家がいた町に、スイーツの原点が生まれる。この順番と時間差が、番組の言う「ルーツ」の中身になる。

100年目の街が、5日後に動く

番組の予告にはもう一文が添えられている。「100年前に誕生した自由が丘は、今月の再開発により新たな段階へ進む」。

具体的な中身は番組では触れられていない。ただ街を歩けば、駅前の青いフェンスの向こうで大きな建物が最終盤に入っているのが目に入る。放送から数えて5日後、街は次の一歩を踏む。

100年前の1927年、緑道が整備された1974年、そして5日後 — この時間軸を通しで辿れば、いつも歩いている道の見え方が少し変わる。

放送は9月12日(土) 19時30分

自由が丘という名前が生まれた1927年、駅名が押し戻された1929年、モンブランが生まれた1933年、緑道になった1974年 — このうちどれが番組に映るかは、当日の放送で確かめられる。

放送は9月12日(土)19時30分、NHK総合。