駅の正面口で102年 ─ 不二屋書店、2025年2月20日閉店の記録
自由が丘駅の正面口、女神広場前で102年続いた不二屋書店が、2025年2月20日に閉店した。跡地に入ったドーナツ店とベーカリーカフェは、店主自身が「若い人たちに来てもらえる店として」選んだテナントだった。
「BOOKS」の文字があった場所
自由が丘駅の正面口を出て、すぐ目に入る「BOOKS」の大きな文字。さんたつ(散歩の達人)は、それが待ち合わせの目印だったと振り返っている。文字を掲げていたのは、女神広場前の不二屋書店(目黒区自由が丘2)。2025年2月20日、102年の歴史を閉じた。
跡地には同じ年の8月30日、ドーナツ専門店「I’m donut?(アイムドーナツ?)自由が丘」とベーカリーカフェ「dacō(ダコー)自由が丘」が開いている。この二つを招いたのは、ほかでもない不二屋書店の店主だった。
奥沢から、駅名が変わった年に駅前へ
自由が丘経済新聞によれば、創業は1923(大正12)年。プレジデントオンラインの寄稿は1922(大正11)年と書いていて、出典によって1年の差がある。
始まりは隣町の世田谷区奥沢だ。店主・門坂直美さんの祖父が商いを始めた。門坂さんによれば、祖父は商人の家に生まれたけれど、本当は作家になりたかったという。
奥沢の店が軌道に乗った頃、駅前に店を出さないかという誘いが舞い込む。1927(昭和2)年に東横線の「九品仏駅」として開いた駅は、1929(昭和4)年の目黒蒲田電鉄二子玉川線(現・大井町線)の開業に合わせて「自由ヶ丘駅」へ改称されることになった。そのタイミングで鉄道関係者から声がかかり、祖父は同じ年に店を自由が丘へ移した。駅の名前が変わった年に、本屋が駅前へやって来た。
当時は「駅改札口の真ん前」に立つ木造の店。1945(昭和20)年の東京大空襲で失われ、戦後、現在の場所に再建された。やがて、女学校の教員だった母が店を継いだ。
継いで約30年、棚に込めたもの
門坂さんが店を継いで約30年。親子3代で102年になる。自分の代では「駅前の書店」として、住民にも来街者にも向けた幅広い品ぞろえを心がけてきた。文芸書や新書、文庫本が豊富で、最初に仕入れを担当したという児童書にもこだわった。岩波書店やみすず書房の在庫も多く、コアなファンにも支えられてきた店だ。
2025年1月8日、店頭に「閉店のお知らせ」が貼り出された。
これまで102年にわたりお客様方にかわいがっていただいたこと、只々(ただただ)感謝申し上げます
閉店の理由として、門坂さんは二つを挙げている。ここ数年、全国で書店の閉店が相次ぎ、自分の代で閉じることを数年前から覚悟していたこと。そして、店のある地区の再開発事業が延期になったことも、決断を早めた理由の一つだったこと。
店には「ここまでよく頑張ったね」「お疲れさま」という声が届いていたそうだ。自由が丘には古書店も含めれば書店が数軒残っているから、安心して託したい。門坂さんはそう話している。
閉店4日前の2月16日には、「猫のダヤン」の作者・池田あきこさんのサイン会が、同店最後のイベントとして予定された。
学生時代から通っていたというプレジデントオンラインの寄稿者は、閉店を「街の象徴が消える」出来事として受け止め、貼り紙に「万策・力ともに尽きてしまいました」という店主の言葉があったと紹介している。
店主が選んだ、次の店
跡地の二つの店を経営するのは、福岡市中央区のpeace put。テナントを誘致したのは、旧店主の門坂さん本人だった。以前は「若い人の街」と言われた自由が丘も、今は年齢層が高くなっている。そう話したうえで、「若い人たちに来てもらえる店として(テナントを)選ばせてもらった」と語っている。
閉じる店の主が、自分で次の店を選んでいた。
街の関心は数字にも表れている。自由が丘経済新聞の2025年年間PVランキングで、不二屋書店の閉店を伝えた記事は上半期に続いて1位。跡地のドーナツ店とベーカリーカフェの開業記事も4位に入った。
2026年9月に東急が公開した、1950年代の写真を手に同じ場所を訪ねる沿線記事でも、古い写真に写る書店の場所はI’m donut?に変わっていた。
壁に残されていたもの
さんたつの記事の時点では、店舗の側面に、少年と猫がハートを釣り上げている壁画が書店当時のまま残されていた。書き手は、ありし日の自由が丘を懐かしく思い出しながら待ち合わせができる、と書いている。